老子【本と私④】

こんにちは!

作業療法士のOがお届けします【本と私】、このシリーズは私の心をわし掴みにした書籍たちの紹介です。きっちりしたレビューは無理なので、ゆるーい内容になりますが、もし興味が湧いたらぜひ読んでいただきたいと思う書籍を選んでおります。 (AmazonやYouTube、その他サイトへのリンクを使用しておりますが、アフィリエイト等ではありません)。


すっかり久しぶりになってしまいました。

番外編のときは何も考えていなかったんですが、いざ書き始めようとしたら、私みたいなのに紹介されるまでもないような古典だったかなーと紹介することを迷い始めまして。

‥‥昨年いっぱい自分の実家でもない、住む予定もない土地家屋、その他の相続で不安に苛まれ、それにとどまらず、2021年に改定された不動産登記法が2024年4月1日より適用、3年間のカウントダウンが開始して、今住んでいる家屋の方がおそらくまずい状態‥‥。現在進行系でまさに 負動産地獄 でして‥‥。
こちらの書籍、けっこう役に立っているので、やっぱりこっちにしようかな、と何を血迷ったか書き始めたんですが、訪問看護ステーションのブログに何を書いてるんだろう、と我に返りました。不動産登記法より医療、介護、障害福祉制度の改定の方を気にしろ!ですよね。すみません。もちろん、しっかりと対応させていただいております。


訪問看護サービスにつきましては 6月から 改定が適用され、利用料の変更等がございます。利用中の皆様には、後ほど詳細をお知らせさせていただきます。よろしくお願いいたします。


はい、改めまして、今回紹介したいのは‥‥老子です。
ちなみに、私が初めて購入したのは、

老子
木村 英一 訳 講談社文庫 1984年10月


こちらですが、すでに絶版になっているようでした。

出会いは高校生の時、鬱々とした気持ちで入った近所の小さな本屋さんで、たまたま手に取ったのがこの本でした。高校生の私がどんな感想を持ったのかはあまり良く覚えていないのですが、言っている意味はよくわからなかったけど気持ちは楽になったな、みたいな感じだったと思います。
その後、大学に進学し、医療情報学の研究室に入ったところ、‥‥指導してくれた先生が台湾出身だったこともあるのかもしれませんが、二進法が根幹の情報学と陰陽思想が大元にある中国哲学は相性が良いからと、その先生から読めと言われた書籍の中にこれがあって老子と再会したんです。でも、その時は情報学とは全く関係がないように感じられたので、正直とても大変でした。


さて、老子といえば、無為自然(第四十八章)とか、上善如水、もとい、上善若水(第八章)が有名ですが、私が一番好きなのは第二章です。

↑この画像はオリジナルです

書き下しと訳はのせるのをやめました。上の画像を作るだけで疲れてしまったのもあるんですが、訳者によって、ずいぶん印象が変わるので、興味を持たれた方はぜひ自分でしっくりくる訳を見つけてくださいね。
ものすごく簡単に間違えててもいいかと思いながら説明してしまうと、この世界は相対的にしか認識できないから、美しいとか、善いことだなどと認識する場合、必ず醜いものであるとか、悪いこと(不善)の概念が必要になる(もってないとそう認識できない)。だから相対の世界で相対的に評価、認識したところで、真のものは把握できてないよ、みたいな感じです。二項対立の話でなく、お互いがお互いを成り立たせているという、陰陽の話だと理解しています。

ちなみに、【本と私③】で紹介した岡本太郎先生の言葉、
”これからのアヴァンギャルド芸術の精神には、非合理的なロマンティスムと、徹底した合理的な構想が、激しい対立のまま同在すべきである。‥‥私は絵画表現によってそれを具体的に提起したい。まず、考えられることは、矛盾する二者の、矛盾したままの同時描出である。” に、この第二章と共通のものを感じています。

私がこの章を気に入っているのは、老子とか孔子みたいな聖人になって世の中のすべてを間違いなく把握したい、っていう話ではなくて、相対だっていうことを頭においておくと、一人称視点の罠から抜け出しやすくなるからかなと思います。

よくあるんじゃないかと思う例を出すと、私の場合、10代から20代くらいの頃「なんであの人みたいに体が動かないんだろう」とか「頭が良くないんだろう」とか「書道がうまくない」とか「絵がうまくない」とか「音楽のセンスがない」とか‥‥「なんで」が無限に出てくるような劣等感の塊で、そのうえ負けず嫌いなところもありますから、悔しくて、つらかったわけです。
でも、当時も私のことを絵がうまいと思ってくれている人もいたし、実直な性格が出ていると言って、私の書が好きだという人もいました頑固なので当時はそういう言葉に聞く耳も持ちませんでした。謙虚さも足りなかったですもっと言うと、全国でみたら正規分布の真ん中あたりで大差ないレベルだったりもするんでしょう。皆さん経験があると思うんですけど、視野や視座、視点を変えたら認識はがらっと変わりますもんね。
ただ、自分の視点を貫こうとする傲慢さって一度立ちふさがると簡単には動いてくれない気がします。思考も感情も身体も自分の思い通りには動いてくれません。そんなときに、この二章に目を通すと、自分の視野、視座、視点を見直す動機づけをしてくれるんですよね。

ついでに吐露しておくと、私の場合はさらにやっかいで、 ’勝手に自分が気になったその人の ある部分が自分より優れている’ と認識した場合、’その人のすべてが自分よりも優れている’ と認識するという歪曲もしていたので、たちが悪かったですね。このような歪曲について解説してくれている心理学の書籍にも面白いものがあるので、こちらもそのうち紹介したいなと思ってます。

逆に、他者を否定したり軽視することで、無意識的に自分の価値や能力を保持したり、高めようとするという苦しみに陥っているパターンもありますし。私とは逆の方向ですが根っこは一緒だと思います。この本も、もう20年近く前の出版ですね。もっと最近だと思ってました。


そういえば、放送作家を引退する鈴木おさむさんの話が面白くて、色々動画を見ていたんですけど、自身が背負った一億円の借金について、自分の経験は面白いものなのかもしれない、と認識が変わった瞬間の話をされていました。きっかけを与えた方の言動はちょっとどうかしてるなと思うところもあるんですけど、この認識が変わった体験は素晴らしいなと思いました。

そんなこんなで、すべての認識が相対だっていうことを頭においておくことで、不必要な評価や誤った認識が生み出す悩みが、ものすごくばかばかしくて無駄なのに、けっこう時間とエネルギー費やしてるぞ、と気づくことができて、思考に気をつけるようになれたのでした。


それから、だいぶ時間はかかりましたが、とてつもなく悲しくてつらいことであっても、自分がとてつもなく幸せであることの証明なんだということも確信できるようになったのでした。

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